最高裁判所第二小法廷 昭和52年(オ)343号 判決 1977年8月09日
上告人
東和信用組合
右代表者
石田孝一
右訴訟代理人
松本昌行
北尻得五郎
被上告人
灘清子
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人松本晶行、同北尻得五郎の上告理由について
被上告人の被相続人である灘つねが、上告人信用組合の管理部職員として貸付と回収の事務を担当していた石田春男の勧めに応じて、自己の預金とするために六〇〇万円を出捐し、かねて保管中の「石田」と刻した印章を同人の持参した定期預金申込書に押捺して、石田春男名義による記名式定期預金の預入手続を同人に一任し、石田が、灘つねの代理人又は使者として上告人信用組合との間で元本六〇〇万円の石田春男名義による本件記名式定期預金契約を締結したうえ、上告人信用組合から交付を受けた預金証書を灘つねに交付し、灘つねがこの預金証書を前記「石田」と刻した印章とともに所持していたとの原審の事実認定は、原判決挙示の証拠関係に照らし、首肯するに足りる。右事実関係のもとにおいては、本件記名式定期預金は、預入行為者である石田春男名義のものであつても、出捐者である灘つね、ひいてはその相続人である被上告人をその預金者と認めるのが相当であつて、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(本林譲 岡原昌男 大塚喜一郎 吉田豊 栗本一夫)
上告代理人松本晶行、同北尻得五郎の上告理由
原判決には、判決に影響を及ぼすこと明らかな経験則違反、及び法令解釈の誤りがある。
一、原判決は、第一審判決をほぼ全部引用し、第一審同様、本件預金の預金者は灘つねであり、石田春男は「代理人ないし使者」として手続を一任されたにすぎないという。
しかし右は、事実認定につき経験則に違背するものであり、代理人か使者かを明確に認定せず「代理人ないし使者」とするのは、明らかに異なつた事実を一括するものであり、経験則に違背するのみならず民法の解釈を誤るものである。
二、本件定期預金の預金者は、灘つねではなく石田春男である。
従つて、上告人東和信用組合のとつた措置はすべて正当である。
原判決は、この点につき上告人の主張を一方的に無視し、事実を誤認するものである。
三、原判決の事実認定にそつて考えても、灘つねは、より有利な利子収入を求めて、金六〇〇万円を石田春男に預けたものであること明らかである。
すなわち、灘つね(仮に同人が六〇〇万円を出捐したとすれば)、同人自身において定期預金をすれば金利は通常の銀行利子であるが、石田春男が預金した場合通常の場合より有利な利子がつくため、金六〇〇万円を石田に預け、石田においてこれを定期預金とするようにしたものである。石田は、つねの使者でも代理人でもない。
石田はつねから金六〇〇万円の交付をうけ、これを自己のものとして預金したのである(ただ、つねと石田との間において、つねが石田に金六〇〇万円を交付する、石田はこれを割増利子付の職員のための預金とし、満期到来のときは、右元金と割増利子とを返還するとの合意があつたというにすぎないのである。)
つね、石田、上告人の三者間の法律関係は、結局、
1 つねと石田との間の消費貸借ないし消費寄託類似の利殖のためにする無名契約、
2 石田と上告人との間の預金契約の二つであつて、つねと上告人の間には何らの法律関係も存在しないのである。
四、本件預金の預金者が誰であるかということは、ひつきよう本件預金契約は誰と上告人との間に締結されたかということである。
そして、原判決は、つねと上告人との間に締結されたものであり、石田春男はつねの「使者ないし代理人」であつたにすぎないという。
しかし、この「信者ないし代理人」というきわめてあいまいな事実認定に基いて判決をなすことは許されない。けだし、使者なら石田春男は独立して法律行為をすることができず、単につねの意思表示を伝達する機関であるにすぎないのに対し、代理人であるのなら自ら独立して法律行為ができることになり、明らかな相違があるからである。「ないし」というような表現で、あいまいに一括できるようなことがらではないのである。
五、念のため、この「使者ないし代理人」を具体的に検討してみよう。
まず、石田が灘つねの「使者」であつたということがあり得るか? 答は否である。
灘つねが意図したのは、自己が直接預金することでもまた単に自己の名が表面にでるのは財産保全上不都合として、仮空ないし第三者名義を使用しようとしたことでもない。石田本人が石田本人の預として預金契約を締結することを意図したのである。けだし、そうでないと割増利子を得ることができないからである。
使者の役目は、本人の意思を正確に伝達・表示することだけであつて、使者の個性や地位は問題にならない。ところが、本件では、預金者は石田でなければならなかつたのであり、灘つね本人が自己の名で申込むときはもちろん、「石田春男」の名義で申込んだ場合でも、つね本人がそれをなすかぎり、つねの意図する預金契約は成立し得ないのである。
従つて、石田春男を使者とする原判決の論法は、具体的検討を怠つた暴論というほかはない。
六、では、石田春男は、灘つねの代理人であつたといえるだろうか。
これも否である。
代理制度の目的は、代理人のなした法律行為の効果を本人に帰属させることにある。本件では、預金契約上の預金者としての地位を灘つねに帰属させることにある。
しかし、灘つね自身が預金者の地位が自己に帰属することを欲せず、そうならないようにするため、ことさらに石田に依頼し、石田に金員を交付したのである。けだし、上告人と預金者間の預金契約上の預金者としての地位が灘つねに帰属することになつては、職員の預金に対する割増利子の取得という灘つねの目的が達成できなくなるからである。
従つて、つねが石田に代理権を授与することにあり得ないし、石田においても預金契約の効果をつねに帰属させるという意思は存在し得ないのである。
石田は、石田自身の責において上告人と預金契約を結んだものであり、つねの問題は、つねと石田間の別箇の契約の問題であつて上告人は無関係である。
七、仮に、万一、石田がつねの代理人であつたとしても、本件預金契約は、民法第一〇〇条にいう本人のためにすることを示さぬ意思表示であること明らかである。
そうとすれば、本件預金契約は、法律上上告人と石田との間に締結されたものとみなされることになり、上告人としては石田を預金者として扱えばよい、そこには何らの違法、不適法も存在しないということになる。
灘つね(現実には被上告人)が石田に対して、契約履行の請求なり、損害賠償の請求なりをすることは可能かもしれない。
しかし、上告人は、石田との間に存在する預金契約について、石田以外の第三者に対して何らの義務を負ういわれはないのである。
八、以上の点は、上告人が第二審において主張して来たところである。
しかるに、原判決に右主張に対し何の説明・反論も加えずに、ただ第一審判決を引用するのみであつて、その不当たるや多言を要しないところである。